見えない代わりに優れる感覚は?

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見えない代わりに敏感になる感覚について、私なりに答えてみようと思います。

目が見えない人は、目が見えない代わりに風の向きなどを読み取ることに優れていると聞いたことがありますが、本当ですか。

見えなくなると敏感になる?

一番よく訊かれる質問に、「目が見えない代わりに耳が敏感になると聞きますが、どのくらいよく聞こえるようになりますか」というものがあります。視覚感覚が使えなくなると聴覚が発達するということだと思うのですが、「視覚の代替感覚」について話してみようと思います。

人間の感覚には視覚や聴覚のほかに、触覚・嗅覚・味覚があります。合わせて「五感」といいますが、私たちが生活している現代は情報の8割が視覚情報と言われるほど視覚優位の社会と言われています。

五感のうちで最も大切な目が使えないのだから、視覚を補う別の感覚が発達して敏感になるに違いないと考えるのだと思います。反対に、生活する上で欠かせない視覚がなくなるのだから、1人では仕事どころか日常生活のなにもできないと思う人がいるのでしょう。
一方、視覚障害者は目の代わりに、聴覚と触覚から情報を得て生活していると言われることがあります。聴覚は視覚と比べられることが多いですし、風の流れを知る感覚は触覚、特に皮膚感覚です。

結論から言ってしまうと、目が見えなくなったからといって別の感覚が鍛えられて敏感になることはありません。耳が聞こえるようになったとか、風の流れに敏感になったとか、なぜ思われるのかを話してみたいと思います。、

聴覚と触覚

見えていた人がいきなり視力を失うと、1歩踏みだすどころか全く行動できなくなると思います。周りの状況がなにもわからずに動こうとすると、ものにぶつかったり躓いたりして命に関わる大けがをするかもしれません。

私について言えば、全く助けてもらわずにとは言いませんが、それなりに単独で生活できていると思っています。そこで、見えなくとも生活できるということは、視覚以外の感覚が発達して補うようになると思うのでしょう。

人によって内容は違いますが、見えなくても生活できるようにする訓練がいろいろと必要です。ただ、その訓練によって耳が良くなったり、風など周囲の様子を超能力があるかのように察知できるようになったりはしません。

どういうことかというと、情報の捉え方が変わってきます。体験や経験を通して、見えれば必要のなかった音を漏らさずに聞きとるようになったり、無意識のうちに触覚でとらえた情報を細かく認識するようになったりします。

視覚の代替感覚

全盲の人が壁にぶつかる直前で立ち止まったり、音や風がどちらから流れてきたか性格に言い当てられるのは、体験や訓練によって見えるために捨てていた情報を認識した結果です。反対に、見えなくなってからなにも訓練をしなければ、本当になにもできないと思います。そういう意味では、眠っていた感覚を使えるようになったと言えるかもしれません。

だからといって、おでこや頬で視覚や聴覚を感じられるようになったりはしません。例えば、おでこのあたりで音が聞こえるように感じるのは、両耳から入った音がおでこのあたりで合わさって聞こえる仕組みにできているからです。情報の認識が変わるのは客観的な事実で、おでこや頬で見えているかのように感じたとしても、それは主観的な個人感覚です。

そして、見える人が老眼や白内障になるように、聴覚や触覚をいくら訓練しても衰えていきます。加齢の速度は人によって、その感覚の使い方によって違いますが、今のところは老化を止めることはできません。

五感のうち使えている感覚、大切に使い続けられるようにしましょう。