武者ラボ代表の武者 圭(むしゃ けい)です。
早速ですが、THEATRE for ALLというサイトをご存じでしょうか。このサイトはアクセシビリティに特化したオンライン劇場で、バリアフリー日本語・英語字幕、他言語字幕、手話通訳、音声ガイドなどを施した多様な有料・無料の作品をオンラインで公開しています。
このサイトの中に、THEATRE for ALL LAB (シアター・フォー・オール・ラボ)という活動コーナーがあります。アクセシブルな作品公開を実現するための調査と実践の場で、活動内容として次のように書かれています。
演劇、ダンス、映画、メディア芸術など、アートと多様な人々を結ぶ活動に加え、身体や言語、環境などが異なる人々同士のコミュニケーションについて、思考し議論していくためのリサーチや場づくりを行っています。
「違う」ことを前提にした対話の中でこそ生まれる、豊かな視点や新しいアイデア。それらをたくさんの人と共有し合い、社会に実装していくことを目指しています。
2021年2月19日(金)、この活動の一貫としてのイベントが行われました。音声ガイドと字幕のついたバリアフリー版のコンテンポラリーダンス映像『n o w h e r e』を鑑賞してから、つくり手である湯浅永麻さんと障害当事者が作品について語り合う「感想シェア会」です。
私はこのイベントに、視覚傷害当事者の一人として参加しました。今までには得たことのない貴重な体験でしたので、自分の記録として投稿しようと思います。
イベントが終わってから感想文を主催者側にメールしましたので、その文章を掲載したいと思います。
「Dance New Air 2020-_21『nowhere』」は1時間余りのコンテンポラリーダンスによる映像作品である。全盲の私は音声ガイド付き日本語字幕版を鑑賞したが、実は最初の通観では全くなにも読みとれなかった。演者を交えた感想シェア会をはさんで合計4回鑑賞することになったが、見直す度に新たな印象が加わっていく意味深い作品である。
最初鑑賞したときになにも伝わらなかった原因は、私が抱いている音声ガイドについての暗黙の位置づけにある。音声ガイドとは場面の様子に加えて人物や事物・色や光の印象や表情の移り変わりを端的に説明するモノで、「良い音声ガイド」と「悪い音声ガイド」がるというのが私の理解である。
たとえば、山田(仮名)が部屋に入ってくるシーンに音声ガイドを付けるとする。「ドアを開けて部屋に入ってくる山田」あるいは「山田がドアを開けて部屋に入ってくる」というガイドは一見的確に思えるかもしれないが、「不安げにゆっくり入ってくる山田」のような説明が良い音声ガイドである。ドアを開けたかどうかはおそらく効果音でわかるし、どのような表情でどう動いたかが重要なのである。
1度目の鑑賞では全くの意味不明であったが、2度目で1つだけ印象に残ったシーンがあった。作品全体のほぼ真ん中にある、2人の演者の手が触れあって一瞬止まる場面である。そのときにPDFの視覚情報サポート資料※があったことを思いだし、その後に開催された感想シェア会を経て、ようやく理解の単著と楽しみ方の手がかりを得られたように思う。
本作品の音声ガイドは主演者が行っており、私が思いこんでいるようなガイドではない。感想シェア会では、この作品に込められた意図や全体構造を知ることのできた。演者が舞台上で声を出していることも関係しているかもしれないが、この作品の音声ガイドは説明というより演者の中にある心の吐露なのではないだろうか。
星空に象徴される宇宙の中に私たちは生きているが、それは光であり原子の集まりである。我々は感情を内包し、その解放を通して外界や他者と関わる。作品の前半と後半が同じような構成を取りながら微妙に異なるように、似たように見えても2つと同じものはない。生命に満ちあふれている地球を内包する宇宙は原子に分解されていき、粒から光という波に消化していく。
「nowhere」とは、「どこにも・・・・・・ない」という意味である。このタイトルは私たちの肉体・感情、宇宙に無数に存在する星が放つ光が、突きつめていくと「空」(くう)ということを象徴しているのではないだろうか。このような見方を反転させると、作品タイトルが「now here」(今ここに)という文字列にも見えてくる。
※付属資料PDFはスクリーンリーダーで白紙と認識されることがあるが、全文コピー操作で読むことができる。
感想文というわりには特に後半は抽象的で、最後は寒いギャグのようになってしまいました。参考資料のPDFを先に読んでいれば少なくとも第一印象は違っていたかと思いますが、この作品での音声ガイドのあり方を否定する気は全くありません。
現代アートを全盲者がどのように鑑賞するか、そのときの音声による説明はどうあるべきか、私なりに考えさせられるイベントでした。説明する側は主監をどこまで入れてよいのか、受けとる側は先入観をどのくらい取りさって作品に向き合えるか、お互いの主観と客観のあり方によっても、作品に対する印象や感想が変わると思いますし、その意味で音声ガイドの可能性をさらに広げることもできそうに感じました。